11月18日(土曜)は毎月恒例の新宮禅寺座禅会(朝、昼)を開催いたします。当店インスタグラムからもご予約、お問い合わせ頂けます。
毎月第3土曜日恒例の新宮禅寺坐禅会。
新宮禅寺(当店隣接)
・朝 坐禅会
朝6:30〜
要予約:前日の14:00までお電話または当店インスタグラムよりご予約いただけます。
朝座禅会+朝食1000円(住職監修・精進料理)
(800円朝食+200円寺へご志納)
0966-38-0358
定例は第1水曜日ですが、住職のご都合により変更になる場合もあります。
曹洞宗 福寿山神照寺 第16代 岩崎哲秀(いわさきてっしゅう)さんが毎月定期的にご来店いただき、皆さんのお話を聞いていただける日です。
時間:13:30〜15:30
相談料:45分1000円 + メニューから1品(ご注文ください。)
お電話で事前予約可能です。
もちろん当日その場でもお話できます。
お待ちしております。
話すことは、手放すこと。
和尚さんカフェは、誰が何の話をしてもいい空間です。
皆さんが「ここだけの話」をして時間を過ごしています。
そのために秘密や個人情報を守るのが和尚の務めです。
自分を吐き出す時間
自分に我慢しなくていい時間
自分に立ち還る時間
自分を探す、思い出す、導き出す、立ち還る、
つながりからつながりなおす空間を目指しています、一応。
どうでもいいものは捨てましょう。
あっても良いものは拾いましょう。
そのままでいいなら、それに越したことは無いです
岩崎哲秀
禅の教えや考え方が短い言葉に凝縮したもの。それが「禅語」です。
長い歴史の中で禅僧たちは修行を重ねながら「人はどうあるべきか?」と日々自問し、よりよく生きていくための道しるべを探し続けてきました。そして、さまざまな”気づき”と出会いそれらは「禅語」という形になって、永永と伝えられてきました。
球磨禅心生活(クマゼンスタイル)おすすめの「禅語」をご紹介していきます。皆様の生活に潤いを与える一助となりますように・・・
春来草自生 「はるきたらばくさおのずからしょうず」
春が訪れると自然と草花が芽生えてきます。それはつまり、「人間の計らいとは関係なしに全てのものは然るべきようにある。」ということです。やまない雨はないというように、どんな悲しみや苦しみも永遠には続きません。春を待つ草花のように、穏やかな気持ちで時が過ぎるのを待つこともまた必要です。当店の梅の花もまもなく開き始めます。
日本でも珍しく、球磨郡多良木町では安産を祈願する神聖な道具として箒 (ほうき)を大切にする習慣が残っていました。「お産の時には、箒の神様 が最初に加勢しに来るから箒をまたいだり、粗末にしてはいけないよ」と の言い伝えが残るほどでした。 生まれてくる小さな命(魂)がこぼれ落ちないように大事に集める道具と して。不安なお産を無事に迎えることが出来ますようにと祈りを込めて、 箒を大切に使っていました。 一年の締めくくりに新しい箒は(ほうき)はいかがでしょうか?新しい道具 で掃除。いつもより少しだけ清々しく感じられそうです。
手作り棕櫚ほうき ¥2,500(税込)
棕櫚とは:南九州原産のヤシ科の植物。伸縮性、耐水性、耐腐食性に優れ利用 価値の高い植物として古くから様々な道具に加工されています。
禅の教えや考え方が短い言葉に凝縮したもの。それが「禅語」です。
長い歴史の中で禅僧たちは修行を重ねながら「人はどうあるべきか?」と日々自問し、よりよく生きていくための道しるべを探し続けてきました。そして、さまざまな”気づき”と出会いそれらは「禅語」という形になって、永永と伝えられてきました。
球磨禅心生活(クマゼンスタイル)おすすめの「禅語」をご紹介していきます。皆様の生活に潤いを与える一助となりますように・・・
喫茶去「きっさこ」
お茶を飲んで「ああ美味しい」と感じるのは、誰でも心癒される瞬間です。何気ない日常の中に人生の醍醐味はたくさんあります。
誰にでも「まあ、お茶でも召し上がれ」と言って、一杯のお茶を振る舞う心の余裕を持ちたいものです。
禅の教えや考え方が短い言葉に凝縮したもの。それが「禅語」です。
長い歴史の中で禅僧たちは修行を重ねながら「人はどうあるべきか?」と日々自問し、よりよく生きていくための道しるべを探し続けてきました。そして、さまざまな”気づき”と出会いそれらは「禅語」という形になって、永永と伝えられてきました。
球磨禅心生活(クマゼンスタイル)おすすめの「禅語」をご紹介していきます。皆様の生活に潤いを与える一助となりますように・・・
清風拂明月 明月拂清風(せいふうめいげつをはらい めいげつせいふうをはらう)
秋の夜分、明月と秋風は互いに主となり客となり、どちらが主体ということもない状態のことを指しています。このとき、月と風は一体となっていて、決して対立しあうようなものではありません。善か悪か、成功か失敗かという二元論ではなく、相手の中に自分を生かしていくという意味です。
今の世の中は、相対的な評価で物事を判断する機会が多くあります。二元論ではないところで自分を生かす道を探してみてはいかがでしょうか?自分らしさを出せる道や居場所はそこにあるはずです。