新宮禅寺 秋 紅葉
当店から借景 新宮禅寺の紅葉
例年より早くピークを迎えそうです。
天気が良く
空とのコントラストが美しい日となりました。
0966-38-0358
当店店主が人吉・球磨の僧侶たちを訪ね禅とは何か?仏教とは何か?を考えるシリーズです。
当店に隣接する 新宮禅寺第13代圓光裕(つぶら こうゆう)氏との対話の第2回目。
T=圓住職 S=佐藤
S:興味本位何ですけど、気がついたら「仏の人生」ってどんな感じだったのですか?物心ついたら「お寺に住んでいる」という感覚は?
T:先々代、圓月曻というもので、祖父なんですけど、小さい時から共に寝て暮らして全て教えてもらいました。小学生くらいには、お寺の仕事ほぼ全てできるようになっていました。お経もその時すでに唱えられましたから。
S:小学生ですでにお経!?。凄いな。その祖父さまはやっぱり厳しいお方でした?
T:いや、全く。一度も怒られたことなかったですし。父が厳しかったですね。
ただ、今振り返ると、父は少し悔しかったのかも知れません。
S:悔しい?
T:父は学校の先生が生業でした。大学は駒沢大学で仏教を学びましたが、祖父からほとんど教えてもらってないようです。その代わり私がマンツーマンで祖父から教わり、小さき時にすでにお経など含め知識的には父を超えてましたから(笑)
圓住職は黄檗宗の本山である京都・萬福寺で修行され、祖父、父が亡くなられて13代目として新宮禅寺住職をスタートされました。
苦しみの原因は何か?
S:今回、この企画を考え、原稿内容を精査してほしいとお願いしたとき
住職から「それは、佐藤君の考え、解釈でいいんじゃない」と言われたのが印象的でした
T:禅に対しても、黄檗宗に対しても、いろんな考え、解釈があっていいと思う。
自由に解釈できないことが苦しみの原因の一つだと思うから。
幸せの定義も人それぞれでいいんじゃないか。お金、家族、いろんなところに幸せを求める人がいてもいいんじゃないかな。
S 最近勉強したんですけど、禅における「意」とは、現代で使っている「意」とは少し違いますよね
T:そうです。仏教語、禅語としての、「如意」とは、意の如く、つまり思い通りになるといいますか、我欲のままになるのでなく、この時の「意」とは、自分と他人の境界を超えた、森羅万象に通じる仏の心を指しています。つまり美しい仏の心のままになるということを意味しています。
S:自他を超えた境界のない心?
T:難しい解釈だけど、仏の心とは、智慧と慈悲があり、それは認許とも言い換えることができます。自分とは違う価値観を認め、自分と一つにする、ある意味
自分を空(から)にすることです。
S:先ほど住職が言われた、いろんな解釈があっていいというところにつながるんですね。ボーダレスの心か・・・
自分と他人の境をなくす心。正直かなり難易度が高い気がしました。理想であるけど、実際実現可能なのか?ただ、それが実現した時、そんな人が増えたら間違いなく世の中はいい方向へ向かうんだろうなという直感はありました。ブッダは悟りを開いたと言います。悟りを開いた後、その教えを広めようとしたとすれば、その時、私と同じ感想、理想だけど実現可能なのか?と感想を持った人がたくさんいたと思います。ただ、目の前に、それを実現した人=ブッダがいたからこそその教えは広がったのでしょうか?
その夜東京にいた。
東京には定期的に行かねばならないことがあり、その行かねばならないことは今回、うまく乗り切れた。うまくいかないことも想定して、夜はぽっかりと予定を空けていた。
建築の設計を生業にしている友人にメールをしたが、仕事であいにく東京にいないという。「東京砂漠を一人でウロウロしなければならないの?」と悲痛な感じですがってみたりしたら、「東京砂漠にもオアシスがあるはず」と返してきた。
では、探すか、オアシス。
基本一人で食事できないタイプなので、ホテルでコンビニ弁当食べてビール飲んで寝るということをやりがちなのだが、今回勇気を振り絞って一人で店へ飛び込んで見ることにした。
なんとか「一人食事」も済ませ、少し勇気エンジンもかかってきたので、この勢いでBARに繰り出してみよう。
銀座をウロウロと彷徨いだした。
奥まった路地に彷徨い込み、古いビルの目の前の看板に目が止まった。
music bar Rumba
ビルの2階だそう。
古びた階段と2階のお店の薄暗い明かりは相当に行きにくい感満載だったが、今日の勇気エンジンは違った。
スタスタと階段を上った。
これまた、重ーいドア。
エンジンは止まらない。
その重ーいドアを思い切って開けた。
薄暗い、雰囲気の良いBAR、カウンターしかなく、席も8席くらいだろうか。CDやらレコードやらずっしりと並んでいる。
ただ、銀座というより、学生時代や20代やら、何か懐かしい気持ちに襲われた。
感じの良いマスターが笑顔で歓待してくれた。
他に2名ほど先客がいたので、一番の奥にいそいそと座った。
普段あまり飲まないウィスキーを頼んだりした。そう言えば、いつかウィスキーに似合う大人になりたいと思ってたっけ。いつ大人になるのだろうと思っていたら結構なおじさんに突入していた。
先客が帰り、マスターと二人きりになったので、話しかけてみた。
「マスターっておいくつですか?」
聞くと、私と同じ歳だった。
そんな気がしていた。店の雰囲気、並んでいるCD、接客のスタイル・・・。どこか懐かしい雰囲気というのは、いつかこんな店をやりたいという私の若いときの夢だったのだ。
マスターには、そんな話をしたら、彼も銀座であえてこの雰囲気の店をやりたかったのだそう。それから、同じ歳ならではの、過去聞いた音楽や、これからやりたいことや、いまの悩みなどいろんな話で盛り上がった。
彼に「マスターのコンピレーションアルバムが聞きたい。お題は、私の店」と無茶振りをしてみた。
マスターは「球磨禅心生活kuma zen style」に当然来たことないが、同級生としての感覚、私の店への思いや、WEBなどの限られた情報の中で、彼がどんな音楽を編集するのか・・・聴いてみたかった。
マスターは約束を守ってくれた。
しばらくして到着したCD.
私にとっては、一期一会の音楽。
そうだ、私に「東京砂漠にもオアシスはあるよ」と教くれた友人に報告しなくてはならない。
「本当にあったよ、オアシス」
店主
当店店主が人吉・球磨の僧侶たちを訪ね禅とは何か?仏教とは何か?を考えるシリーズです。
第1回目は、当店に隣接する 新宮禅寺第13代圓光裕(つぶら こうゆう)氏です。
住職と佐藤は幼馴染み。佐藤も小さい頃よくこの寺で遊んでいたそうです。
30年近く経て、人吉球磨の活性化という共通の目標をすえて新宮禅寺住職とカフェオーナーという形で相見える事になった二人。
佐藤(以下、S):以前から気になってたんですけど圓(つぶら)という苗字珍しいですよね。
圓住職(以下、T):元々、大牟田の出らしいです。向こうにはこの姓を名乗っている人が多い。エンと呼ぶ方が多いですけど。
私の曽祖父がこの寺の住職になった時にこちらに一家ごと引っ越したようです。
S:じゃあ、その前は、別の方が住職を?
T:そう。禅寺は、世襲制でなく、お弟子さんである複数の修行僧から後継者を指名することが基本です。最近は担い手不足で世襲制が多いですが。このお寺も私で13代目と言ってますが、黄檗宗になってからの13代目。
S:ん?この寺は、途中宗派が変わっているんですか?
T:16世紀後半ごろ、黄檗宗に転派しています。おそらくその前には10人以上いたはず。佐賀県とか長崎県とかいろんなところから住職を迎えているようです。
S:じゃあ、今住職は本当なら23代目とか・・・か。すごいな。
T:史料に残っている記録で600年ですが、実はもっと長い歴史があるようです。800年くらいあるのではないか・・・
S:800年!?すると・・・30代前後くらい・・・か・・・凄い時間ですね。
冒頭から佐藤も知らないことの連続です。これからさらに聞いていきます・・・
(つづく)