球磨川沿に佇む 人吉城(別名繊月城)
国の史跡に指定されている人吉城跡は、清流球磨川のほとりにあります。鎌倉時代から球磨地方を治めた相良氏の居城として、670年の長い歴史があります。
平成5年に川沿いの石垣の上に「多門櫓」と「角櫓」、これをつなぐ長塀が復元され、人吉城のシンボルとなっています。
豊臣秀吉の天下統一後、天正17年(1589)に第20代相良長毎(ながつね)は豊後から石工を招き人吉城の整備を始め、慶長6年(1601)には御本丸・二の丸・堀・櫓御門(中御門と推定)まで完成。慶長12年(1607)から川沿いの石垣を築き始めました。
修築の際、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城あるいは繊月城とも言われています。